更新日:2021.1.22
るどです😊
ゲームの世界の事ではなく、実際の歴史に興味を持ったので、勉強しながら、映画も観ながら、少しずつ更新していきます👀
※本記事の内容は全てるど調べです。できるだけ正確にお伝えしようとはしますが間違えていたりしたらごめんなさい。
実際に海賊がいた時代
存在は「1500年以降から1830年頃まで」
最盛期「1660年から1730年」
背景
1492年、コロンブスにより新大陸が発見されました。サン・サルバトル島です。「新大陸発見」という事で有名なのですが、実際には最初に発見した訳ではありません。これは本題とずれてしまいますので、機会があれば・・・。
「参照:Google マップ」 |
コロンブスの発見により、スペインとポルトガルによる新大陸や周辺地域の植民地化が進みました。この植民地とヨーロッパとの間の貿易(一方的な搾取)は莫大な利益を上げます。
これは学校なんかで習う「大航海時代」や「ヨーロッパ世界の拡大」の始まりことです。
他のヨーロッパ諸国も後に続き、植民地化を進め、貿易をするのですが、この頃出てきたのが「海賊」です。
※細かく言うと最初は「私掠船」なのですが。「私掠船(しりゃくせん)」とは、戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃し、その船や積み荷を奪う許可(私掠免許)を得た個人の船であり、海賊船の一種とも言える。
ちなみに一言で「海賊」と言っても世界中に存在しましたが、ここではあくまでもゲームの世界に則した「カリブ海の海賊」のお話です。
「参照:Google マップ」ゲームや映画の時代は? |
理由は、
・ポートロイヤルにイギリスの正規軍が駐留したのが1700
年頃からだから。
・海賊であるというだけで絞首刑はこの頃の話だから。
・全盛期終焉の1730年頃の話だと思う。
・海賊最後の港「ナッソー」が失われた頃だから。
なのですが確証はないです😆
でも大体あってると思いますし、映画は意外と曖昧な感じらしいです。
しかしゲームの中では「東インド会社」が大きな勢力です。うーーん😐まあ、カリブ海へも進出していたということでしょう😆
※実際、東インド会社の主力製品である「お茶」をアメリカ植民地へ販売していたとのこと。なのでそれ以前より、「イギリス」としての動きを、この会社は行い、新大陸にも影響を及ぼしていたと考えて良いと思います。
結論として、1700年頃から1730年頃の「海賊が辛い頃」そして「最盛期の終わり」という感じの時代だと思います😙
この頃、日本では「徳川吉宗」が将軍ですね😙
今日はここまで
2021.1.21 るど
イギリス東インド会社
・1580年頃から貿易商人の組合的な「レヴァント会社」という組織が貿易を牛耳っていた。
・レヴァント会社のメンバーが中心となりオランダに対抗できる組織「東インド会社」を設立した。
・東南アジアまで広く交易した。1613年には日本の平戸にも商館を持っていた。
・オランダ東インド会社と常に争っていた。
・1670年代から80年代にイギリスが空前の好況で、東インド会社の配当利回りは450%を超えていた。時代的にも取締りが甘くインサイダー取引で莫大な利益を上げる者が出ていた。
・新国王ウィリアム3世の命令により「東インドと貿易をする英国のカンパニー」が設立され、東インド会社に付与されていた特権は失効した。その後、旧東インド会社の経営状況が改善され、1709年2つの組織は合併した。
※やっぱりジャックが戦っていたのは正規軍と考えるとこの頃の時代なのでしょうねー😳
・終焉時期
→とにかくインド産の綿に頼った会社だった。
→イギリス綿工業の成長に伴い衰退していった。
→インド、東アジアの貿易を独占していたが時代の要求もあり自由貿易が進み衰退していった。
→1833年残っていた中国との独占も終了し東インド会社は商事的な終焉を迎えた。
・残務整理が終了した1874年1月1日、正式に会社の歴史の幕を下ろした。最後はすごく小さな会社だったそうです👶
東インド会社要約でした!
2021.1.22 るど
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